剣の道を求めて六十二年
慈忍の心で修業



剣の道を求めて六十二年、我ながらよくぞここまできたものと思う。竹
刀(しない)を握ったのが昭和十一年、十四歳の時だった。

会社の勤めを終わって、近くの中道場、精勇館、故鹿嶋清孝範士の指導
を受けた。戦争激化、昭和十七年、第七航空通信隊に入隊、翌年、宇部
港からラバウルへ直行、無線通信手として終戦まで。

昭和二十一年五月復員。二十三年中日新聞社に入社、夜は剣道と居合道
に励んだ。お陰で昭和五十八年八段、平成三年範士となり、県剣道連盟
の居合道委員長となり、東海四県大会の審判長、審査員を勤め、斬道の
発展、普及に努力している。

私は慈忍、という言葉が好きで、尾張の七代藩主、徳川宗春の政治モッ
トーで、「慈」は、太陽の如く照らすように。「忍」は、月の如く静か
に心を満たすようにと、本来、佛教用語の訓えに、藩政の理想を託した
ものである。

居合は、仮想の敵と対し、敵の心を察しながら静から動へと展開してい
く。しかし、その奥底には”慈忍”の心がなくてはならない。つまり、私
の内では、慈忍の心こそが居合修行の心と考えている。足腰を鍛え、い
つ、いかなる瞬間にも、その変化に応じられる身体を作る。そうして技
を磨き、心を練り、鍛えていく。居合は精神を集中できるのが大きな魅
力で、年を取っても毎日の鍛練と節制を欠かさなければ、まだまだ第一
線で指導が出来ると自負している。

(平成10年)


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